寿命とは、命がある間の長さのことであり生まれてから死ぬまでの時間のことである。その寿命は生活スタイルや性別や持病の有無により個人差を見せ、命が終わる日にズレが生じる。寿命について考える時に大事なのが平均寿命と健康寿命という概念である。

生きた日数が伸びれば良い訳ではない。ただ単に生きているのではなく健康的に生きたい。致し方無い事だが寝たきりなどで時間を費やすだけというのはいかがなものか。健康なまま寿命を伸ばし、日々の生活を保つためにも日頃から身体を労り続ける必要がある。

今一度、健康や命について考えてみようと思う。

年齢と寿命の関係

「平均寿命」は亡くなった人の平均年齢ではない。その年の死亡率がこのまま変わらないと仮定した上で、その年に生まれた子どもがその後、何年生きるか推計したものが「平均寿命」。

「健康寿命」とは日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間のこと。

平均寿命よりも健康寿命を中心的に考えていくべきと色々な方が語っている。出来れば介護や病院に頼らない健康的な生活が送れると良い。

超高齢化社会をむかえた現代。人生100年時代とされる。総人口に対し65歳以上の高齢者の割合が2017年で21%を超えた。日本の高齢化スピードの速さは各国の中でも異例である。長い年月を出来るだけ元気に生きていきたい。

また健康寿命は他人に依存しない自立という概念も考えなくてはならない。介護や援助の必要ない元気な姿で居る事は永遠の課題と言える。

限られた命の時間

聖路加国際病院・日野原重明先生が2017年7月18日105歳で亡くなられた。その、日野原先生が2012年の講演で命について語ったとされる言葉が印象的であるためそれについて触れてみる。

日野原先生は、今でも10日に一度小学生を集めて「いのちの授業」を開催しているそうです。10歳くらの子供たちに「いのちってなんだと思う?」と問いかけると、必ず心臓に手を当てるといいます。先生は、「それは違います」とおっしゃいました。

「心臓は”いのち”ではありません。心臓は単なるポンプです。”いのち”は目に見えないものです。確かにあるものだけれど、でも、目には見えない。では、”いのち”とは何か。”いのち”とは、私たちが持っている時間の証なのです。」

長らく多くの人に命について語られてきた日野原先生は【命は時間】と説いた。105歳という長寿年齢を迎え、静かに生涯を閉じた。

時は金なりという言葉がある。時間は貴重なものであって、金銭と同じように大切で価値があるのだから、浪費するものではないという戒めである。 時間は無駄に費やすものではなく、有効に使うべきである。

日野原先生はその様な事を伝えたかったのではないかと思う。

誰も命の灯火のリミッターを止める事は出来ない。しかし、その燃え行く時間を緩やかにする事は出来るという。そのために日々どんな選択をするかが重要である。

命と健康は切っても切れない関係がある。長い間、長生き、若返りなど健康的で居たいという思いで可能性の確立が求められている。科学の進歩した今。寿命革命が起きる日は近いかもしれない。

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書いた人mirai